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想いでの馬

ミスターシービー1

ミスターシービーが、20世紀の終わりに逝った。
言わずとしれた名馬だが、あの馬にはいろいろと
思い出がある。

シービークインとトウショウボーイの子の、ミスターシービー
がデビューしたときは、すごい逃げ馬か、スピード馬のなると
思った。しかし、出てきたのは.ナンとすごい追い込み馬、

ミスターシービーの主戦騎手の吉永正人とは、寺山さんの
お気に入りの騎手で、勝ち星の割りには、極端なレースぶりと
寺山効果で、人気があった。

わたしも そんなファンの一人で、そのころ吉永が、乗っていた
強い馬のモンテプリンスが、先行抜けだしを
するのが、面白く無かった。

そんなときに現れたミスターシービー

兎に角最後方から行き追い込む、そして勝つ
なんて気持ちのいい競馬をするのだろうか?
共同通信杯から、引退まで 関東でのレースは、
すべて見に行くことになった。
ちなみに報知新聞の寺山、最後のコラムは、ミスターシービー
の皐月賞であった。

とりあえず 続く。

ギャロップダイナ

ギャロップダイナのこどもと言えば、
岩手のマウンドギャロップがいる。
あまりぱっとしないが、父のように突然
走り出すかもしれない。

ギヤロップダイナは、6才の秋まで、ダートのオープン馬
としては強い、と言う程度の馬だった。
しかし天皇賞で、あのシンボリルドルフを差しきってから
逆転の妙味を、私に教えてくれる馬になった。
札幌日経オープンで、落馬しながら一番最初にゴールしたとき
夜のニュースで、この馬は、騎手が嫌いなのかと 女アナウンサーが
ぼけたが、実はギヤロップダイナは、人間のために走るのがきらいだったようだ。

その秋の天皇賞、でシンボリルドルフがゴールに、迫るとき外から
やってきたくせ者、あの日は、シンボリルドルフが負けた日で
ギヤロップダイナが天皇賞馬になった日と人は、言わない。
アナウンサーもあの時、あっと驚くギャロップダイナと思わず
いってしまっていた。

その後もマジに走ったのは、安田記念だけで、特に、スタンドの前から
スタートするのが嫌いという人間嫌いは、彼らしかった。
シンボリルドルフを破ったことで期待されて、ヨーロッパ
のマイル戦に挑んだが。全く走る気はなかったようだ。

帰国後もジャパンカップでは、スタートで終わり。
もう人気がなかった、有馬記念。
またもファンを裏切り人気のミホシンザンをけ落とし、
後輩のダイナガリバーと1-2をきめた。

大橋巨泉さんは、これからギヤロップダイナは、本格化しますよ
引退はもったいない。などと言っていたが。
ギヤロップダイナはそんなまじめな馬ではない、
また大人気の馬がいたときだけ、走るそんなうまだ。

サクラシンゲキ
サクラシンゲキはとても強いスプリンターだった
親は ドンにアンジェリカで境厩舎
主戦は小島太だ
この馬はなぜか負けたところ の想いでが多い。
やはりグレード制の轢かれる前だったので長い距離に
無理に挑んでいた観がある。 またスプリンターズステークスでも
今と違い59キロや60キロででていた。 重の中山で重馬場の桜花賞馬
ブロケードにゴール前さされたのは 悔しいレースだった。
逃げ馬としても 印象に深く 鼻をゆずったレースは記憶にない。
特に第一回ジャパンカップでも とにかく逃げまくった 止まるのは見て居て
つらかった。
彼が長い距離を 走ったのは 4歳のダービーで4着に粘ったからだろう
あのレースがいちばん 印象に残っている 2冠馬オペックホース 
天皇賞馬モンテプリンス とゴール前まで競り合ったスプリンターのサクラシンゲキ

今の距離体系なら 必ず名馬と呼ばれていただろうに、
しかし私は2400に挑戦して散った最強スプリンターに強く引かれる
限界を越えたダービーの走りは感動的だったのである。
 

平成6年8月20日、盲腸破裂により「静内・アロースタッド」で死去
享年18歳

メジロファントム